HOME > 三線とは

 三線

三線とは

沖縄守礼の門

 琉球に三線の起源となる楽器が伝わったのは今から600年あまり前、1391年の察度王朝時だと言われています。その起源をたどってみると三絃として、起りは遠く3,4千年も昔、エジプトに始まり、アラビア、ペルシャを経てインドに入って琵琶となりました。唐においては胴に蛇皮を張った三絃が中流以上の家庭で盛んに流行した後に琉球に輸入され、三線の起源となりました。その後、さらに北上して日本本土に渡って三味線になったというのが通説になっています。
 琉球では、三線は帰化した中国人三十六姓が福州から久米村に持ってきて普及させたという説があります。その後、赤犬子という天才が三線を改良しオモロに合わせて弾き、各村々をめぐり歩いて琉球音楽を完成させたと伝えられています。
しかし、三線の由来・普及や赤犬子説には確固とした資料が無く、その信ぴょう性を疑う者も居る事も事実です。

三線部位名称

琉球音楽の分類


沖縄本島周辺
1.古典音楽
【古  典】
 琉球王朝時代に宮廷音楽として作られた曲です。 御前風五節(ぐじんふういちふし)に代表されるようなゆったりとした曲調で、歌詞は琉歌(八・六調)が使用される○○節と、上り口説(ぬぶいくどぅち)などの力強い曲調で五・七調の歌詞が使用される○○口説があります。 これらは主に琉球の国王や薩摩、中国からの使者の前で歌われました。 現在まで、200曲あまりが歌い継がれています。
 これらの中の一部の曲は、琉球舞踊の古典舞踊の伴奏音楽として使用されています。

【古典民謡】
 琉球王朝が終わり、明治に入ってから作られた曲で、その多くは琉球舞踊の雑踊り(ぞうおどり)の伴奏曲となっています。 曲調も古典に比べてアップテンポなものが多く、明るく楽しい曲が多いのが特徴です。 代表的な曲としては、谷茶前節(たんちゃめぇぶし)、加那ヨー節(かなよーぶし)、浜千鳥節、黒島口説(くるしまくどぅち)など。
 このあたりの曲は、古典か民謡かの区別が難しく「古典民謡」としました。 個人的には、曲が作られた当時の歌詞、歌い方をそのままに再現した場合は、古典。 アレンジを加えたら民謡と考えています。 当会では、この古典民謡も積極的に練習曲として取り入れています。

2.民  謡
「民謡」と言う分類は人によってかなり違い、上に書いた古典や下のポップスなども含めて、沖縄で作られた曲全般を「沖縄民謡」と言う人もいます。 ここでは、少し細かく狭義の「民謡」と言うことで説明いたします。
 民謡とは主に戦中・戦後に作られた曲で、沖縄の庶民の生活や恋愛事などを方言で歌ったものが多く、おそらく数千曲あるのではないかと思います。 現在でも増え続けています。
 代表的な曲としては、遊びションガネー、ナークニー、唐船ドーイ、祝い節、かたみ節、肝がなさ節などなど、挙げれはキリがありません。
 また、上記の古典民謡も多少のアレンジが施されて、民謡歌手によって頻繁に歌われています。

3.童謡・歌謡曲・ポップス
 比較的新しい曲や、子守歌、流行歌など。 民謡との区別はあまりはっきりしていません。
 赤田首里殿内(あかたすんどぅんち)、いったーあんまーまーかいが、童神、ハイサイおじさん、芭蕉布、涙そうそう、島人の宝、海の声 など。


八重山諸島
八重山古典:赤馬節、しゅうら節 など
ユンタ・ジラバ: 男女の掛け合い唄(安里屋ゆんた、悋気ジバラなど)
子守歌
月ぬ美しゃ、昼の子守歌など

宮古島周辺
クイチャー:豊年を願い、また重税を嘆く祈りの唄
あやぐ:なりやまあやぐ、トーガニーアヤグなど
子守歌

参考文書
書籍「手習い 沖縄の三線」
島袋リリア先生三線教室テキスト
「初心者のための 沖縄三線」
その他各種資料、および個人的意見


三線と共に演奏される楽器

太鼓
太鼓
笛

箏
胡弓
胡弓(クウチョウ)

など